日本共産党前橋市議会議員 長谷川薫  【年齢 66歳】 現在・5期・携帯・090-1534-5061・自宅~前橋市南橘町15-5・お困りごとや行政への要望などありましたら、お気軽にご連絡下さい。


by hasegawakaoru

中川一男さんの葬儀に参列。

 私が35年前に前橋に千葉から転勤になった時以来のお付き合いをしてきた元前橋市議会議員の中川一男さんが、81歳で亡くなられた。
 呼吸疾患で長い間、在宅酸素療法を続けながら、党活動や3中地区9条の会、医療生協の活動で、文字通り命がけの活動を続けられた。昨年暮れの総選挙では、体が衰弱し、これまでのように政策チラシを届けながら日本共産党の支持を呼び掛ける活動ができなくなった中でも、電話で懸命に支持を訴え1000人近くの支持を広げた。長年、平和町・昭和町・住吉町など地元地域では、困ったときの相談相手として信頼を得ていたこともあり、中川さんからの電話があれば長い話をしなくても、多くの方が支持を表明してくれたのだと思う。
平和を愛し、住民の暮らしの改善を願い、がんばってきた中川さんの人生は、人間として、そして日本共産党員として、誇りに満ちた生き方であったと思う。本当にお疲れ様でした。
 
 今日参列した中川さんの葬儀で私が述べたお別れの言葉です。
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   ( 弔辞 )  

 日本共産党前橋地区委員会の全ての党員に代わりまして、中川一男さんに、心から哀悼の誠を捧げ、お別れの言葉を送ります。 
 長期間にわたって在宅酸素療法を余儀なくされ、話すことや歩くことも困難という健康状況の下でも、命がけで党活動や市民運動を続けられた中川さんに、心からの敬意と感謝を捧げたいと思います。本当にありがとうございました。
 中川さんとの最期のお別れですので、参列の皆さんに50年にわたる中川さんの党員としての生活の一端をご紹介しながら、中川さんをお偲びしたいと思います。
 中川さんは1934年1月9日に、利根郡昭和村で生まれ、沼田高校を卒業するとすぐ群馬銀行に勤務し、その後、協立病院に勤めるまでの25年間、群馬県信用保証協会に勤務されました。日本共産党には、信用保証協会で労働組合を結成し活動する中で、今は亡き稲垣倉造さんと出会い、1965年に入党されました。
以来50年間、日本共産党員として人間の解放と社会進歩の事業を重ね合わせる人生を歩み、党の発展と住民要求実現のために休みなく邁進されました。
 この間、党の職場や居住支部長として、また地区委員会や県委員会の役員として党活動の先頭に立つとともに、群馬中央医療生協の専務理事として医療と健康を守る運動でも活躍されました。
医療生協を退職した後には、多くの方々の要請に応えて前橋市議会議員に立候補し当選、2期8年間、命と暮らしを守る前橋市政の実現をめざして大奮闘されました。私も4年間中川さんと一緒に共産党市議団の一員として活動をしましたが、市議会では、決して妥協せず住民の利益を守り抜く「凛」とした態度を貫き、いつも私たち議員のお手本でした。
 また、中川さんは、誰にでも笑顔で優しく語りかけ、多くの人々から、信頼され、慕われました。「どんなことでも中川さんに相談すれば、なんとか解決してくれる」、そんな信頼感、安心感が人々の中に深く根付いていたと思います。
 地元の平和町や岩神町や住吉町などでは、高層マンション建設に伴う日陰被害やビル風被害で苦しむ住民とともに被害防止対策や補償要求運動に取り組み、都市計画道路・県庁群大線工事では、立ち退きを求められた住民への移転補償や営業損失補償を求める運動の先頭に立ちました。これらの住民運動では、一人一人の住民に寄り添い、切実な声に耳を傾け、大手建設会社や市当局との交渉に臨み、一歩も引かずに住民と共に要求実現を迫り、多くの成果を上げることができました。
 また、憲法9条を守り、二度と戦争を繰り返させないという強い決意のもとに、「3中地区9条の会」を立ち上げ、会の代表として、多くの方々と憲法9条を守る一点で力を合わせ、多彩な反戦平和の活動の先頭に立たれました。 
 さらに、国政選挙や地方議員選挙になれば、政策ビラを届けながら日本共産党への支持を熱心に呼びかける中川さんの姿は、今も、多くの皆さんの胸に焼き付いていると思います。
 また、「アメリカや財界言いなりの日本政治のゆがみを理解していただきたい、政治を変えるために力を貸していただきたい、そのためにも、未来に展望を持つことができて暮らしに役立ち、元気が出る赤旗新聞を大勢の人に購読していただきたい」と訴えながら、50年間、暑い夏も寒い冬も、中川さんはどこにでも自転車で出かけ、コツコツと読者を増やし、毎月きちんと集金を続けられました。決して高ぶらず、おごることなく、目立たない地味な活動も粘り強くつづけられました。
 そして、中川さんにとって最後の選挙になった昨年暮れの総選挙では、呼吸が苦しく体調がすぐれないにもかかわらず、投票箱が閉まるまで、連日朝から晩まで電話を使って大勢の方に日本共産党の支持を懸命に訴え続けました。中川さんのこのような献身的な活動が、総選挙で改選8議席から21議席へと前進した日本共産党の大躍進に結実したと思います。
 今また、戦争へと続く憲法改悪の足音が大きく聞こえてくるようになりました。中川さんがお元気なら、憲法を守ろう、平和をまもろうと地域を走り回っていたに違いありません。そんな中川さんの姿をもう見ることはできませんが、中川さんに代って私たちが、その役割をしっかりと引き継いでまいります。
 平和と命を脅かす安倍政権の暴走政治が吹き荒れている中でも、いま、日本共産党が躍進し、新しい時代の展望が開けはじめています。中川さんがその準備に奔走しながらも、見ることができなかった民主連合政府の時代を、私たちみんなで実現するために、力あわせて邁進したいと思います。
 そして目前に迫った県議選でも、酒井宏明県議の再選を必ず勝ち取り、高崎、伊勢崎からも党の議席を確保して3名の共産党県議団を実現し、県民の命と暮らしを守ろうと決意しています。中川さんと共に戦えないことは本当に残念ですが、中川さんの分も含め私たちが全力を尽くして戦い抜く決意です。
 中川一男さん、誰よりも平和を愛し、住民の暮らしの改善を願い、がんばってきた中川さんの人生は、人間として、そして日本共産党員として、誇りに満ちた生き方であったと思います。本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠り下さい。そして、あとに続く私たちをお見守りください。
 あらためて、中川さんのありし日の姿をしのび、追悼の言葉といたします。

 2015年3月23日
                           日本共産党前橋市議会議員  長谷川 薫
          


  
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by hasegawakaoru | 2015-03-23 22:17 | 近況報告