前橋ビジョン「めぶく」について
2017年 06月 26日

前橋市の100年先を見据えて官民共同で昨年の8月に策定した前橋ビジョンが「めぶく」という言葉になりました。このビジョンづくりに参加した、前橋出身のコピ―ライターの糸井重里氏は「前橋は全国的にも特徴がない」と指摘して、ゼロからの出発を意識して「めぶかせることが必要だと」主張しました。前橋出身の実業家、メガネのジンズの田中仁氏も同調し、市長が同調して「めぶく」に決めました。
しかし、前橋の長い市民の営みを否定し、ゼロからの出発と位置付けてよいのでしょうか。明治以来、生糸の町として栄えた前橋市は、県庁所在地として営々と市民がまちを築いてきた歴史があります。太平洋戦争末期の8月5日には米軍の前橋空襲によって535人がなくなり前橋の中心市街地のほとんどが消失しました。戦後、戦災復興事業に官民共同で力を尽くし、現在の前橋のまちを作ってきました。
今、前橋が特徴のない街になったのは、前橋市が全国トップクラスの区画整理事業を実施したたからです。中心街がさびれてシャッター通りになったのは、前橋市が大型商業施設を郊外の道路沿いに次々と出店を誘導したからではないでしょうか。
市当局は、前橋の総合計画よりも上位の理念・価値観が前橋ビジョンと位置付けています。すでに市の幼児教育や雇用政策にも「めぶく」というビジョンが強く押し出されています。ゼロからの出発ではなく、これまでの施策を市民参加で真摯に総括してこそ、今後の街づくりの在り方が確認されて、子どもも高齢者も市民みんなが安心して暮らし続けられるまちづくりが進むのではないでしょうか。
